2016年1月30日〜2月21日、横浜市民ギャラリーあざみ野にて、第40回木村伊兵衛写真賞受賞作家、石川竜一の写真展「考えたときには、もう目の前にはない 石川竜一展」が開催されています。展覧会開催直前、沖縄から上京中の石川竜一にインタビューを行いました。
「沖縄で雪が降ったんですよね」、そんな会話で始まったインタビュー。2016年1月29日、小雨が降る横浜あざみ野のギャラリーに昨年の木村伊兵衛写真賞の受賞者、沖縄出身の写真家、石川竜一を訪ねた。翌日からの展覧会を控え、緊張感漂う設営作業中の会場をひととおり見せてもらった後、できたばかりの展覧会カタログを手に、まずは展覧会開催の経緯から聞いた。
「僕が沖縄で『フォトネシア沖縄』という写真ワークショップの手伝いをしていたとき、天野太郎さん(横浜市民ギャラリーあざみ野 主席学芸員)と知り合ったんです。それで天野さんから『作品見せてよ』と言われたので『はぁい』って作品を見てもらって。それから天野さんとは、たびたび会う機会もあって、写真集に寄稿していただいたりして。それで『いつか横浜で展覧会やろうよ』と言われて『はぁい』って」。
インタビューに答える石川竜一
のんびりとした柔らかな口調で話し出した石川竜一。無邪気な話し方は、木村伊兵衛写真賞受賞作(『絶景のポリフォニー』『okinawan portraits 2010-2012』)に籠る熱量や退廃的な空気とはおよそ似つかわしくないものだった。石川の作品を初めて見たときの天野学芸員の反応をたずねたところ、石川の回答はごく控えめなものだったが、にごした言葉の端に、天野学芸員の賛辞のほどがうかがえた。
写真と出会い、暗室で試行錯誤を繰り返したゼロ年代後半
今回の展覧会は、石川が写真を撮り出した最初期の作品から最近作までをほぼ時系列に並べている。展覧会の一番最初に展示されていたのは、石川の現在の作風からは想像もつかないモノクロの合成写真。さらに続くのは、印画紙上に直接溶剤を使用しながら形態をイメージ化した、前衛的な水墨画のようにも見える作品だった。初期の作品について話を聞いた。
「最初にカメラを手にしたばかりの頃は、ファインダーをのぞいて自分が見たものと、現像して写真になってきたものとがまるで違っていました。そのときどんな気持ちだったかとか、その日の朝に何を食べたかとか、それまでにどんな出会いがあったかとか、いろんな要素によって写真は成り立っていて。そういうことを気にしながら、いろんな素材を詰め込んで生まれたのが合成写真の『脳みそポートレイト』のシリーズです。
そのうち、もっと自由にやりたい放題やっていたら、写真を撮りに行かなくなって、暗室にこもって現像液で作品を制作するようになりました。それが『ryu-graph』のシリーズです。『ryu-graph』という名前は後になって恩師がつけてくれたもので、そのまま自分もそう呼んでいます。
石川竜一 ryu-graph #0028 2009 ゼラチンシルバー・プリント
ただ、あるときから『これって写真じゃないんじゃないか。じゃあ写真ってなんだろう』と思うようになったんです。それで、暗室での制作と並行して、外に写真を撮りに行くようになりました。それが『adrenamix』のシリーズです。
外に撮りに行くようになったのは、自分が想像できないものとか、いきなりで『おっ』と思うもの、人の内側から出てくる可能性を見るのが面白くなってきていたからでした。『ryu-graph』のシリーズをもっと進めていくイメージも自分の中にはあったけれど、自分の中でイメージができている時点で、終わってるなって。人ってくだらんっていうか、人の想像の範囲ってこんなもんなんだって......。」
石川はこの日の会話の中で、何度か「人ってくだらん」という言葉を繰り返したが、そのフレーズだけ毎回声のトーンが少し低くなるのが印象的だった。石川は制作態度の転換期をそんな風に語りながら、ふと言葉の途切れた後に「まぁ、飽きたんでしょうね」と照れたように笑った。
「いろんなところで良く言われてることだけど、写真って、意識というか、道具としてのモチベーションが自分の外に対して向いてるんですよね。最初は身近な人から撮り出したんですけど、徐々に範囲が広がっていって。それまでなんとなく引きこもっていたようなところがあったけれど、カメラを通して自然と人とつながれるようになっていきました。写真が外に連れ出してくれたんです」。
石川竜一 OP.001143 那覇(「okinawa portraits 2010-2012」より) 2013 インクジェット・プリント
友人たちと酒を片手に語り合った日々
「写真界の芥川賞」と言われる木村伊兵衛写真賞。2014年11月の写真集2冊同時刊行から翌年3月の伊兵衛賞の受賞まで、石川は日本写真界に彗星の如く現れ話題となった。写真集刊行以前、知る人ぞ知る存在であった石川の作家活動について聞いた。
「沖縄って、写真家も多くて『写真とはこうあるべき』といったイメージのようなものががっちり固まっているんです。だから最初の頃に僕がやっていたことなんて、沖縄の写真界では気にも留められず、まったく相手にされてなかった。その当時は、本当に頭の中がめちゃくちゃだったから、僕自身も何をしているかよくわかっていなかったけれど。
でも、先走るイメージを持たないようにして、自分の中にあるものをもっと解放していけば、その先に何かがあるんじゃないかと思っていました。人って根本的な部分では同じだから、きっと共通するものが見えてくるって信じていたんです。
僕の周りには、そういうことを話し合える友人がいました。音楽が好きだったり、文章を書くことが好きだったり、そいつらも僕と一緒で、いわゆる正規の勉強をしたわけではなかったけれど、独学で自分なりの理論みたいなのを持っていたから。
石川竜一 浦添, 2009(「adrenamix」より) 2010 PC、モニター
そのとき一緒にいた友だちの多くが『adrenamix』のシリーズに写っています。彼らとは、地元のファストフード店の駐車場をたまり場にして、毎日のように酒を持ち寄って飲みながら、いろんなことを語り合いました。そこではたとえば、過去のアーティストや作家の誕生日会をやっていました。歴史を遡れば毎日誰かしらの誕生日なので、それを集まる口実に『今日は◯◯の誕生日です、乾杯!』って(笑)。それでその日は、そのアーティストや作家の作品について語る、といったようなことをしていたんです。あの駐車場で生まれた名言はいっぱいあります」。
沖縄の写真界とは接触せず、自分の表現を模索していた20代半ば。想いを分かち合った友人たちを「基本的に育ちはあんまり良くないけど」と笑う石川の表情は、特にいきいきとしていた。
「そんなことをしていた時期に、写真家の勇崎哲史さんに出会ったんです。勇崎さんに出会ってから、いろんな写真集を見るようになって、写真の歴史や他の写真家についても知りました。ポートレイトを撮るようになったのも、勇崎さんの勧めです」。
来るもの拒まず、自分の想像を越えるものに逢いに行く
「恩師」と呼ぶ勇崎哲史に出会い、2010年から撮影しだした「okinawan portraits 2010-2012」「絶景のポリフォニー」の2つのシリーズは、急速に写真作品としての強度を増していったように思われる。本展では、両シリーズを会場のほぼ中央に据え、会場後半部分で新シリーズ「CAMP」と「考えたときには、もう目の前にはない」を展示している。サバイバル登山の専門家とともに金沢・秋田の山岳に入り撮影した「CAMP」シリーズは、写真展の中でもとりわけ異彩を放っていた。
石川竜一 和賀岳(「CAMP」より) 2015 インクジェット・プリント
「自分の想像を超えるものに興味があったので、人に言われたり誘われたりしたら、とりあえず何でもやってみるようにしているんです。金沢のSLANTというギャラリーの方から『俺と面白いことしない?』と言われたので、2つ返事でOKしたら『山行ってこい』って。自然とか、いちばん興味の持てないものだったので『マジかや!?』って。絶対疲れそうだし(笑)。
それで実際に森に入ったんですが、先立つイメージもないし、見慣れたものが一切なくて、とにかくちょっとでも興味を持てるものがあったら、とりあえずカメラを向けてシャッターを切っていました。正直、また山に行きたいとは思わなかったけど、後日自分の撮ったものをプリントしたら、意外に多くの発見がありました。被写体が違っても、自分の写真に共通するものがあることを客観的に見られたというか。それで結局、また山に行く予定が立ってるんですけれど(笑)」。
石川竜一 八重瀬, 2014(「絶景のポリフォニー」より) 2014 インクジェット・プリント
目の前の出来事と思考のタイムラグ──今はただ点を打つ
石川の順応性やバイタリティに感服すると、本人からは意外な言葉が返ってきた。
「僕、実は怖がりなんですよ。鬱状態になっていた時期があって、その頃は見た目ばかり気にして、他人に憧れて、他人の真似ばかりしていました。自分がクズだってことに気付いて、何もかも意味がないって思えてきて。考えれば考えるほど、そういう思考が宇宙みたいになっていって。
死にたいって思いながら死にきれずに、2年間くらいウダウダ何もせずにいました。ただ、何もしてなくても生活するお金なんかはかかるわけで。人間って生きてるだけで他人に迷惑をかけるってわかった時に、どうせ迷惑かけるなら、自分の好きなように生きて、それで誰かに殺されるんならいいやって......」。
石川竜一 考えたときには、もう目の前にはない 2014〜15 ピールアパートタイプフィルム
ソファの上で膝を抱えて丸くなったりしながら言葉を選ぶ石川の姿は「考えたときには、もう目の前にはない」という言葉に行き着くまでの逡巡と葛藤の日々を想起させた。自分の中の先行するイメージを捨て、想像を越えるものに出会おうとすること。それは鬱屈した思考から抜け出すために選んだ態度なのかもしれない。
もぞもぞ動いている内に石川のコートのポケットからはみ出した文庫本の背表紙に気づき「サルトルを読んでいるのですか」と訊ねると、文庫本をポケットに押し込んで(丁寧にスナップボタンまで締め)、気恥ずかしそうにこう話した。
「ある時期から、スポーツや音楽によって得られる爽快感や高揚感を......。その頃の僕としては、それらの感覚は得られるというより消化されてしまうという風に考えていましたが......。それらをすべて写真に置き換えてみたいという思いが強くなって、写真以外のことを一切やらなかったんです。音楽も聞かず、映画も見ず、写真のことだけに集中しました。
でも、この1年弱の間に、また写真以外のことにも時間を割くようになって、改めて読みたい本も出てきました。具体的にこうしたいとか、こうなりたいというものがあって行動しているわけではないんですが、答えのないことを考え続けることが、生きることなんだって思っているので。......って、これじゃ話の収拾つかなくなっちゃいますね(笑)。
今、僕にはその瞬間ごとに、瞬発的に点を打っていくことしかできないんです。それ以上の意味はないし、その意義は自分が判断することではなくて。その点の集積が、いずれ何かまとまったかたちになって、誰かが評価してくれるかも知れないけれど、それは終わってみないとわからないから」。
展覧会の最後を飾る最新シリーズ「考えたときには、もう目の前にはない」の配置を直す石川。一枚一枚の裏面に撮影時の思いが綴られている。
展覧会タイトルと同名の最新シリーズ「考えたときには、もう目の前にはない」は、日々の出来事をピールアパートタイプフィルム(引き剝がし式のインスタントフィルム)で撮った作品だ。写真の裏側には、日記のようにその時の思いが書き込まれており、過去のシリーズの文脈を引き継ぎながらも、そこにある日常がより刹那的に切り取られているように見えた。過去のシリーズから現在進行形のシリーズまで、石川のこの10年間の軌跡をたどる展覧会の最後を飾るシリーズに、「点を打つ」という石川の言葉が、妙な生々しさをもって響いた。
インタビューの最後に、展覧会の会場での写真撮影を申し出ると、石川は「どうぞ」と言って最新シリーズの前に立ってくれた。それまでのインタビューで垣間見たナイーブさが嘘のように、スッと背筋を伸ばして佇む石川の面ざしに一瞬ひるみながら「石川さんのポートレイトを撮るなんて恐れおおいですね。『はい、チーズ』なんて言ったら、素人丸出しですよね」と冗談まじりにシャッターを切ると、ふっとまた先ほどの優しい笑顔を見せてくれた。
PROFILE いしかわ・りゅういち 1984年 沖縄県宜野湾市生まれ。2008年 前衛舞踏家、しば正龍に師事。2010年 写真家、勇崎哲史に師事。2012年 第35回キャノン写真新世紀佳作受賞。2014年 写真集『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』(ともに赤々舎)同時刊行。2015年 第40回木村伊兵衛写真賞、日本写真協会賞新人賞受賞。森美術館で開催される「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(2016年3月26日〜7月10日)に出展予定。