アーティストのミヤギフトシによるブックレビュー連載。第8回は、青来有一の小説『私は以来市蔵と申します』を発端にして、同じ長崎を舞台にした遠藤周作『沈黙』の世界を辿りながら、連綿とつらなる作家の想像力に迫ります。
青来有一「私は以来市蔵と申します」、遠藤周作「沈黙」
弱さを引き継いでゆく ミヤギフトシ
キシリタン弾圧の歴史を辿るために、長崎を訪ねた。1日目と2日目は大村や島原半島を回り、3日目は長崎市の北部に位置する外海(そとめ)地区に向かった。それまで晴れていたのに、その日は朝から雨が降り続いていた。外海は、沈黙の碑がある場所。遠藤周作が『沈黙』(1966年)の舞台トモギ村のモデルとした場所に建てた碑に僕が興味を持ったのは、青来有一の『私は以来市蔵と申します』(『すばる』2015年5月号)を読んでからだった。


物語の中で「わたし」は、「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という碑に刻まれた遠藤周作の言葉を下敷きに、様々な小説やテキストを引用し、そして時にそれらのテキストの登場人物たちを物語から引きずり出して語らせる小説『崖っぷちの懺悔室』の構想を思いつく。その執筆過程そのものが、『私は以来市蔵と申します』を構成している。遠藤周作や宮沢賢治、原民喜の作品をはじめ、神に異議申し立てを行うも神の言葉にねじ伏せられるヨブを描いた『旧約聖書 ヨブ記』、息子を幼くして亡くしたH・S・クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか−現代のヨブ記』、そしてアウシュヴィッツで母親を亡くした哲学者ハンス・ヨーナス『アウシュヴィッツ以後の神』などを引用しながら、少年時代に原子野となった長崎を目の当たりにした父が生前抱えていたであろう弱さや虚無感に向き合おうとする。
父が虚無感を抱え、晩年はガンで衰えながらも生き続けた理由はなんだったのか。「わたし」は、気弱な父親が生前病床でつぶやいた「なんもしてやれん......、すまんなあ」という言葉を、若い頃に読んだ宮沢賢治「よだかの星」の、鷹からお前は鷹ではないのだから「よだか」ではなく「市蔵」に改名しろという理不尽な要求を突きつけられる非力なよだかに重ねる。

よだかは鷹の理不尽な要求を受け入れられず泣き、それでも鷹にはかなわないので、せめて夜空で死に、星になってしまおうと考える。しかし、空に昇るたびに星座たちに拒絶され大地に叩きつけられる。それでもよだかは空を目指し続け、最後はカシオピア座のそばで輝く星となる。「わたし」は、もしもよだかが星になり損ね「市蔵」という名を負わされ情けなく生き続けたら、と考える。
葉のくぼみにたまるわずかな露をすすり、屈辱のなかでもなんとか生きぬいて、だれにも知られることなく消えていったとしても、生きていればもうそれでいい、星の光ほど明るくはなくても尊い青い憐光に包まれるのではないか...... 青来有一『私は以来市蔵と申します』(『すばる』2015年5月号、集英社)より

青来有一は、よだかの姿を遠藤周作が『イエスの生涯』で描いたイエスに重ねる。遠藤が描くイエスは圧倒的に無力で、人々に貶められ、弟子たちに裏切られ、孤独に死んでゆく。そこには奇蹟の片鱗も、復活の栄光もない。その姿は「わたし」にとって父を思い起こさせるものでもあった。青来有一は、遠藤が『イエスの生涯』で引用した聖書の一部を、再引用している。
その人には見るべき姿も、威厳も、慕うべき美しさもなかった。
侮られ、棄てられた。
その人は哀しみの人だった。病を知っていた。
忌み嫌われるもののように蔑まれた。
誰も彼を尊ばなかった。
まことその人は我々の病を負い
我々の哀しみを担った...... 青来有一『私は以来市蔵と申します』(『すばる』2015年5月号、集英社)より

雨の中市内を抜けて峠を越え、1時間ほどで外海地区に着いた。断崖絶壁の上に建つ遠藤周作文学館に立ち寄ったあと、沈黙の碑を訪ねた。雨が強さを増し、碑を濡らしている。崖下に広がる海は群青と灰色を混ぜたような色で、静かにうねっていた。霧が空を覆い視界を遮っている。「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という言葉は、『沈黙』には出てこない。しかし、間違いなく作品に通底する嘆きや哀しみと連なるものであり、また、『イエスの生涯』(1973年)で遠藤が描いたガラリヤ湖畔、イエスが山上の垂訓を行った場所、の描写ともどこか似ている。
人々は貧しく、みじめなのにここの風景はあまりに優しく、あまりに美しい。羊の群れが草をはむ柔らかな丘。湖に影をおとす高いユーカリの林。その林に風がわたる。野には黄色い菊やコクリコの赤い花が咲きみだれている。湖の遠い水面には漁師の舟がうかんでいる。人間はかくも悲しいのに自然はかくもやさしい。
遠藤周作『イエスの生涯』(新潮社、1973年)より

『私は以来市蔵と申します』の「わたし」はまた、YouTubeで見た吉本隆明の講演から、ヨブ記の神を自然に例えた一節を引用する。自然は誰にでも分け隔てなく美しく、そして暴力的に襲いかかる。神もまた分け隔てなく無慈悲だ。そう考えると、『イエスの生涯』の「人間はかくも悲しいのに自然はかくもやさしい」と沈黙の碑の「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」という言葉の差異にもまた気づかされる。ガラリヤの風景はどこまでも穏やかなのに、『沈黙』の海は血塗られている。どちらの状況においても人間は自然を受け入れるしかない。実際に宣教師たちが上陸し、そして禁教令の後は隠れキリシタンが暮らし続けた場所である外海。断崖絶壁が続き、縫うように時折住宅がぽつんぽつんと連なる。雨のせいかもしれない。密やかな空気に満ちていた。海の向こうには何も見えず、閉ざされた世界に自分だけが取り残された感じさえある。宣教師たちがここに上陸し、そして信者たちが隠れて信仰を守ってきた場所であることも、わかるように思えた。

『沈黙』に登場する人々は、皆哀れで非力だ。棄教しキリシタン狩りに加担するフェレイラ、宣教に熱意を燃やし日本に上陸しながらも捕らえられ棄教するロドリゴ、そして何度もロドリゴを裏切り、役人に脅されては棄教し、それでも信仰を捨てきれずに卑屈に泣きじゃくりながらロドリゴにつきまとうキチジロー。泣き叫びながら許しを乞うキチジローの姿は、『イエスの生涯』で遠藤が描いた、イエスを売ったユダ、イエスが処刑されることを知って逃げ惑う使徒たちの姿にも重なる。裏切られ捕らえられたロドリゴは、自分がイエスと同じ運命を辿ることに恍惚を覚えるが、彼は最終的に転んでしまう。キリストの姿が刻まれた銅板の踏み絵に足をかけたとき、ロドリゴはキリストの声を聞く。
その時、践むがいいと銅板のあの人は司祭にむかって言った。践むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。践むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。 遠藤周作『沈黙』(新潮社、1966年)より

キチジロー、ロドリゴ、ユダをはじめとした使徒たち、よだかや「なんもしてやれん」とつぶやく病床の父。遠藤や青来の描くものたちは非力で、イエスすらも弱くて醜い存在だ。僕は信者でもなくキリスト教についてもわずかな知識しか持ち合わせていないけど、ふたりの小説を読み、そして実際にその舞台を歩いて、2000年前から続く人間の弱さの連なりを垣間見、そして密やかに継承される弱き人々の記憶に繋がれたような、不思議な感覚を覚えた。歴史が繋がっていて、消された声も密やかに継承され得るのだということを、外海の沈む海を、冷たい初夏の雨の中眺めながら考えていた。

『崖っぷちの懺悔室』を書き進められずにいた「わたし」は、ある日トカゲの姿を見て(幼い頃尻尾を踏んでは尻尾から切り離された胴体が逃げて行くさまを見ていた)、尻尾を失ったトカゲが、星になれずに惨めに生き、そして死んだ「市蔵」の名を襲名するというアイデアを思いつく。そして、『私は以来市蔵と申します』はそのトカゲによる切実で崇高な演説をもって幕を閉じる。トカゲは言う。「神は無力なままこれからも永遠に黙っておられるだけです」と。そして、屈辱を受け続けすっかり疲弊した「市蔵」に救われた記憶を、その市蔵の死を目の当たりにした記憶を語る。以来、よだかが本当に醜く無力だったのかとトカゲは自らに問い続け、そして、襲名を、弱さや痛みを継承することを決意する。
私は以来市蔵と申します。
私の使命は真実を忘れないで、どんな屈辱をうけようとも生きのびてそれを伝えていくことです。 青来有一『私は以来市蔵と申します』(『すばる』2015年5月号、集英社)より
PROFILE
みやぎ・ふとし 1981年沖縄県生まれ。XYZ collectiveディレクター。生まれ故郷であ る沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、 写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアート プロジェクト「American Boyfriend」を展開。森美術館での「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの 声」(2016年3月26日〜7月10日)のほか、あいちトリエンナーレ(2016年8月11日〜10月23日)のコラムプロジェクトと映像プログラムに参加。 http://fmiyagi.com
出版社:集英社
刊行:2015年4月6日
価格:950円(税込)
出版社:新潮社
刊行:1981年10月19日
価格:950円(税込)